杉原千畝だけじゃない…異色の軍人・樋口季一郎を知っていますか? ユダヤ難民にビザ、タブーの武器放棄で無血撤退も

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 陸軍北方軍司令官時代の樋口季一郎

 第2次世界大戦前の1938(昭和13)年、ナチス・ドイツの迫害から逃れ満州国(現在の中国東北部)国境にたどり着いたユダヤ人難民を救うため、満州国に働きかけてビザを発給させた旧陸軍軍人、樋口季一郎(1888~1970年)の軌跡を学ぶ集会が、樋口が戦後、10年間過ごした宮崎県小林市であった。
 満州経由で米国などに逃れたユダヤ人は数千人に上るとされ、樋口はリトアニアで同様にビザを発給した外交官・杉原千畝(ちうね)らとともにユダヤ社会で恩人とされている。
 樋口は兵庫県・淡路島出身。若くからロシア語を学び、情報将校として活動。陸軍有数のロシア通として知られた。大戦中、北方軍司令官として臨んだキスカ島撤退作戦では、当時の日本軍ではタブーとされた武器投棄を命じて無血撤退につなげるなど、異色の軍人だった。
 8日、小林市文化会館であった集会で孫の樋口隆一さん(77)=明治学院大学名誉教授=は、ユダヤ人対応やキスカ撤退で見せた樋口の柔軟性の原点が、情報将校としての豊富な海外経験にあると述べた。樋口は、ユダヤ人宅に寄宿、文学やワルツなど文化に親しみ、幅広く人と交わった。「その国の内実を知るため重ねた交流が、隣人としてユダヤ人の立場を考える姿勢を育てた」と隆一さんは指摘した。
 樋口は47年、妻の妹夫婦の死去を受けて、北海道から小林に移り住み、妹夫婦の遺児養育に当たった。集会では現在、鹿児島市で暮らすめい、外山朝子さん(88)がビデオ出演し、「毎朝、広い畑の東西南北に立ち 戦死した部下を思って静かに手を合わせていた姿が忘れられない」と小林時代の樋口を回想した。