イスラエルの起源に迫る─それはロシア・ユダヤ人が作った国だった

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ハマスによる奇襲を受けたイスラエルがガザ地区に地上侵攻を続けるなか、人道状況が厳しさを増している Photo by David Silverman/Getty Images

「イスラエル」とはどんな国だろうか。中東でよく戦争をしていて、小国だが強大な軍事力をもっている、と思う人もいるだろう。あるいは、長らく迫害されてきたユダヤ人がナチスによるホロコーストの末、ついに作り上げた国と考える人もいるかもしれない。
迫害されてきたかわいそうなユダヤ人が念願かなって作った国、しかしアラブ人(パレスチナ人)を迫害している攻撃的な国──こういった対極的なイメージは、いかにして生まれてきたのか。
この謎を読み解く『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』(鶴見太郎)の冒頭を抜粋する。

『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』

イスラエルの起源


ユダヤ人とイスラエル──どちらも日本では馴染みが薄いが、おぼろげなイメージぐらいはないだろうか。そして、両者のイメージはかなり対極的ではないだろうか。
ユダヤ人といえば、ヨーロッパでの迫害やホロコーストを連想する人は多いだろう。ユダヤ人の具体的な顔に初めて触れるのは、歴史の教科書に登場する『アンネの日記』を通してかもしれない。そこで目にするユダヤ人は、何か手をさしのべてあげなければならないような、かわいそうな人々のように見える。
一方、イスラエルといえば、中東あたりでよく戦争をしている国、小国にもかかわらず高度な軍事力を持っている国というイメージがあるかもしれない。あるいは、先住民のパレスチナ人を抑圧している国というイメージを持っている人もいるだろう。いわば、手を出したら嚙まれてしまいかねない戦闘的なイメージだ。
しかしそのイスラエルは、ユダヤ人の国家だとされることが多い。対極的な二つが一緒になっているのだ。

中東の一角、地中海東端とヨルダンのあいだにある、歴史的にはパレスチナと呼ばれてきた地域にイスラエルは位置している。1948年に建国された比較的新しい国だ。それまでこの地域は久しくオスマン帝国の支配下に置かれ、ムスリムを中心とするアラブ人が暮らしていた。
現在、イスラエルの全人口約900万人のうちおよそ650万人はユダヤ人(ユダヤ教徒)である。その他の大半は、昔から暮らしてきたアラブ人(パレスチナ人)のうち、イスラエル独立時に起こった戦争の後も残った人々だ。イスラエルの独立宣言には、イスラエルが「ユダヤ的国家」であることが明記されている。
「ユダヤ人」を定義することは、他の「○○人」と同様に「科学的」(少なくとも生物学的)には不可能だが、現在では、基本的には自らをユダヤ人・ユダヤ系と考える人を指し、多かれ少なかれユダヤ教やユダヤ人の歴史とのつながりを見出している人々であることが想定されている。現在ではユダヤ教をあまり実践しない人のほうが多数派だ。
この定義に基づくと、現在の世界のユダヤ人口は、やや抑制的に見積もってもおよそ1500万人になる。イスラエルに次いでユダヤ人口が多いのは、600万人弱が暮らすアメリカであり、イスラエルとアメリカがユダヤ人口の二大拠点になっている。3位以下の人口数は桁が一つ減り、フランス、カナダ、イギリス、アルゼンチン、ロシアと続く。ちなみに日本には1000人ほどが暮らしているとされる。
では、ユダヤ人と聞いてヨーロッパを連想するのは的外れかといえば、それは時期による。ソ連崩壊直前は、アメリカに次いで多かったのはソ連であり、ホロコースト以前まではさらに多く、ロシア・東欧地域こそがユダヤ人口の中心だった。20世紀初頭では、世界のユダヤ人口約1100万人のおよそ半数が、ロシア領ポーランドを含むロシア帝国に暮らしていた。

19世紀終わり頃からアメリカやパレスチナなどにユダヤ人が移住し始め、ホロコーストによる破滅やソ連崩壊の混乱を経て、前記の人口分布になった。

多様化するユダヤ世界

現在のユダヤ世界はかつてないほど多様化しており、イスラエルのユダヤ人でも伝統的なユダヤ教のスタイルを守り続ける人々がいる一方で、歴史的経緯の異なる中東・アフリカのユダヤ人も特に建国後に多く移民し、今では同国ユダヤ人口の半分を占めている。
アメリカのユダヤ人についても、イスラエルとの関わり一つとっても、例えばトランプ大統領の娘婿ジャレッド・クシュナーのように強靱なイスラエル国家を支持するユダヤ人もいれば、それに批判的なユダヤ人、さらにはイスラエルの存在そのものに反対するユダヤ人もいる。
ユダヤ教に対する立場も実に様々だ。ユダヤ教の師である「ラビ」は歴史上長きにわたって男性に限られてきたが、アメリカでは女性のラビがいる改革派もあれば、世俗社会と自集団を遮断して独自の地域共同体を築く極端に伝統主義的な一派もある。
他のディアスポラ(離散)のユダヤ人も同様に多様で、ソ連崩壊後にイスラエルに移民したユダヤ人は、無神論のソ連でユダヤ教とはかなり離れてしまっていた人々だった。移民の理由もイスラエルのあり方に共感したというよりも、経済的理由によるところが大きい。

こうした多様性を鑑みると、先に挙げたユダヤ人とイスラエルに関するイメージは、非常に一面的であることがわかる。だが、特に、パレスチナへの移民が始まった19世紀終わりから、イスラエルがつくられていった20世紀半ばまでの時期に重きを置いて歴史を大局的に見るなら、イメージの対照性はあながち間違っていないのだ。
紀元1世紀にローマ帝国に敗れて以来、19世紀までのディアスポラの歴史のなかでユダヤ人が迫害に対して武器を取って立ち向かったケースは非常に限られている。基本的には嵐が過ぎ去るまで堪え忍ぶという姿勢でユダヤ人は一貫していた。
一方、イスラエルは、建国以来何度も隣接するアラブ諸国と戦火を交え、支配地域内のパレスチナ人にも容赦がない。公言はしていないが、イスラエルは核保有国だと噂される。男女ともに兵役があり、過去四度にわたる中東戦争をはじめ、その数々の軍事作戦は世界に大きなインパクトを与えた。
近年では、ガザ地区のハマース(「イスラーム過激派組織」とされる)の徹底的な弾圧のためにはパレスチナ市民の犠牲や困窮を厭わない姿勢で国際社会から非難を浴びている。イスラエルの軍事技術やセキュリティ製品に対する注目度も高い。
では、このように対極的なユダヤ人とイスラエルは、いったいどのような経緯で重なっていくことになったのか。この問いに対しては、ここまでに記してきたことでもある程度は予測がつくかもしれない。1941年頃からユダヤ人殲滅へと向かったホロコーストで民族存続の危機に瀕したユダヤ人が、ついに目覚めてイスラエルを建国し、自衛を徹底するようになった、という筋書きである。

だが、ユダヤ人国家をつくろうという運動=シオニズムは、実はホロコースト以前からすでに本格化しており、パレスチナや国際政治においてそれなりの基盤を築いていた。その頃に運動の中枢を担っていた人々がイスラエルを建国し、アラブ諸国と戦闘を繰り広げていった。
ホロコーストが起こったからといって、そうした動きの大勢が大きく変わったわけではない。ホロコースト以降の現在でも、世界のユダヤ人の過半数がイスラエル外に住んでいるように、イスラエルに行かなかったユダヤ人のほうが多かったのだ。
ホロコーストが世界のユダヤ人に多大な影響を与え、イスラエル建国を後押ししたことは間違いない。しかし、イスラエルを担ぐことになったユダヤ人の軍事的な志向性の高さについては、必ずしもその説明とはならないのである。
むしろ、ホロコーストより以前、特に19世紀の終わりぐらいから始まっていたユダヤ人のあいだでのある変化が、彼らが国家という形で自衛を徹底していくうえでの大きな前提になった。それはどのような変化だったのか。本書『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』が解き明かすのはこの点である。
以下、序章では、この変化についてもう少し敷衍し、第一章では、その背景を探るための道具立てを提示する。第二章では、本書の舞台になるロシア帝国とそのユダヤ人に関する基本情報を示し、以下、第三章以降で、ユダヤ人の姿を具体的に追っていく。

イスラエルの始まりは、ロシア系ユダヤ人の内面の「変化」

世界の注目を集めるいま、『イスラエルの起源』を読むことの意義とは何だろうか──早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄が、本書を次のように推薦している。
「いままた注目されるイスラエル。一般に同国は、シオニスト運動を経て第二次大戦後に、パレスチナの地に建国されたと理解されている。一方で本書は、すでに19世紀末に始まっていた(当時のユダヤ人の半数を占める)ロシア系ユダヤ人の内面の『変化』こそが起点である、と述べる。
流浪の民である彼らは、ユダヤ人という自覚に加えて、そこに住む国民としての自覚も持つ。『ユダヤ系ロシア人』はその典型だ。ユダヤ人でありロシア人であることの内面の相互補完性をもち得たのが『リベラリスト』であり、両者に一定の線を引いていたのが『シオニスト』である。やがてシオニストはある悲劇をきっかけに、その自覚がユダヤ人に一本化され、シオニスト運動に繋がっていく。
国際政治の話でありながら、個人の内面の複雑性というミクロに焦点を当てるダイナミズムが素晴らしい。国際政治が不安定化する現在だからこそ、読んでおきたい一冊だ」

『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』