“フォークボールの神様”杉下茂さん死去 97歳肺炎で 中日のエースとして1954年に球団初の日本一、監督も務める

image
杉下茂さん

中日のエースとして1954年の球団初となる日本一に貢献、監督も務めた杉下茂さんが12日、肺炎のため亡くなったことが16日分かった。97歳だった。2019年ごろから肺の機能が徐々に低下。22年6月に間質性肺炎と診断され療養していたが、12日朝に自宅で意識を失い、都内の病院で亡くなった。

 杉下さんは1925年9月17日生まれで、東京府東京市神田区(現東京都千代田区)出身。帝京商(現帝京大高校)、いすゞ、明大を経て49年に中日に入団した。

 杉下さんは日本で初めてフォークボールを投げたことで知られ、「フォークボールの神様」と呼ばれた。明大時代に、同大学の先輩であり、中日入団年に監督になった天知俊一さんにフォークを教えられた。

 そのフォークを武器に3年目の51年に28勝13敗で沢村賞と最多勝のタイトルを獲得。54年には32勝12敗で投手タイトルを総なめにし、MVP、沢村賞も獲得してチームの日本一に貢献した。

 59年から2年間選手兼任で監督に就任したが、登板はなかった。61年に大毎へ移籍してその年で引退した。引退後の66年に阪神、68年に再び中日の監督に就任。そのほか、大毎、阪神、巨人、西武で投手コーチを務めた。85年には野球殿堂入りした。また、96年から中日春季沖縄キャンプで臨時コーチを務め、90歳を超えても精力的に動いて選手を指導した。

 通算成績は525試合登板、215勝123敗、防御率2・23。中日での211勝は球団2位の記録。獲得タイトルはMVP(54年)、最優秀勝率(54年)、沢村賞(51、52、54年)、最優秀防御率(54年)、最多勝(51、54年)、最多奪三振(50、54年)。